『中国化する日本』與那覇潤 を読んであれこれ

ずいぶんと更新をご無沙汰していました。前回、ゲルマン的形態と日本の村落共同体の比較をすると予告しておいたんですが、その後いろいろ関連本を読み始めたら、これが実に奥が深い、簡単じゃない...それで、すっかり歴史の面白さにはまってしまいまして、近所の大学図書館にお世話になりつつ、歴史本読みまくりの日々です。


それで、ひさしぶりの更新にあたって。まあ予告通り共同体の歴史について書こうという意思はあるのですが、これはもうちょっと脳内で熟成させたい、という思いもある。そんな折、ちょっとネタにするのによさげな本があったので、今回はその本の感想などを。


中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史


これはネタなのか?マジなのか?と随所で戸惑う本。正直、著者の意図がどこに向かっているのかが最後まで読まないと、いや最後まで読んでもよくわからない、ということで読みながらある意味イラついてしまった本です。たぶん、ほんとはニヤニヤしながら読むのが正しいのでしょうけど...


古臭い「脱亜入欧」的歴史観での日本近代化の「近代化」の部分を「中国化」に置き換えて、その対立軸に「江戸時代化」という概念を設け、「江戸時代化 ←→ 中国化」という二項対立の図式で、中世から現代までの日本史を説明しちゃいましょう、という良く言えば野心的、悪く言えばひどく乱暴な内容の本です。
このような単純な図式を、歴史に当てはめていくので、内容のディテールの部分が、ずいぶんと乱暴です。紹介される書籍も多岐にわたっていて、それこそサブカル関係にまで広がっているのですが、一面的な解釈による紹介も多く、さらにはその世界であまりコンセンサスを得られていないようなものも平気で出てきます。
文章のノリは、映画やアニメなど、サブカル関係にまで広げるところは、浅羽通明みたいな感じなんですが、ものすごいシニカルに乱暴な単純化をするところは、ちきりんとか藤沢数希みたいになる。しかも「定説です」とか「定石です」とか「標準的な考えです」「主流の地位を占める」なんて言葉をつけるところは、まるで池田信夫
ゆえにですよ。僕は読んでいてものすごくイラついたし、でもイラつけばイラつくほど著者の術中にはまっているのでは、という、やはり狙ってやっているのか?とも思うわけで、そのなんともいえない感覚のまま、とにかく最後まで読みました。ちょっと意地になって。
そして、頑張って最後まで読んだからからこそ、このなんともいえない頭のなかに溜まった違和感や不快感、この本にたいする突っ込みとか、そんなものを吐き出さないと、やっぱりおさまりがつかないな、ということで、今回のエントリーになるわけです。
それで、この本のディテール部分での展開をいちいち批判・検証するのも、なんかどうもネタにマジレスカッコ悪い、的な感じであり、それはそれで作業的にも面倒くさそうなので、ここではこの話の核となる「江戸時代化 ←→ 中国化」という枠組みについて考えてみようと思います。


中国を歴史的にみて、近代化がもっとも進行していた国、と捉える考え方自体は、それほど目新しいものでも突飛なものでもありません。以前ここで大塚久雄の『共同体の基礎理論』をあつかった際に、「共同所有・共同態規制 → 私的所有・私的領域の自立」という図式を、中国農村社会に当てはめると、中国では私的所有が古くから進んでいて地縁的な共同体も存在しない近代的な所有形態が最も進行した社会、と言えてしまう、ということを紹介しました。大塚久雄の『共同体の基礎理論』自体は、マルクス唯物史観がベースとなっています。そして、マルクス唯物史観も、それこそ19世紀以前の「近代」観からきています。
栄光の「古代」ギリシャ・ローマが衰退したのち、暗黒の「中世」という時代を経た後、ルネッサンス(再生)により「近代」をむかえた、と考えた初期近代知識人の歴史観。そのなかでも「中世」→「近代」を、封建制からの解放と捉える「近代」観はそのまま19世紀にまで引き継がれました。この「封建・組織・隷属 → 自由・個人・解放」という二項対立の「近代」観。これをそのまま中国に当てはめると、中国は近代化がもっとも進行していた国、ともなるわけです。
ところで、このような二項対立の図式は、歴史学の分野において数多くの類似系があって、有名なのは、ピレンヌに代表される 西欧中世における農村と都市の対立的な捉え方。日本においても、阿部謹也が西欧中世都市のアジール性を強調したり、網野善彦が日本中世史で「無縁」「漂泊民」に自由を見いだしたり、といったところにもつながっています。
ちょっと話は逸れますが、この本を読んでいてふと思い出したのが、松尾匡さんの『商人道のススメ』。『国家の品格』の武士道に対抗して、これからは商人道だ!ってなことで、近江商人の話とかが紹介されているのですが、松尾さんは武士道を「身内集団原理」、商人道を「開放個人主義原理」としていて、ああなんて古臭い陳腐な枠組みに当てはめちゃうの、と読んでてがっくりしちゃったんですが、これも似たような図式ですよね。松尾さんの「開放個人主義原理」には性善的な合理的個人が含意されてはいますが...。
そんなわけで、それこそ政治・社会・経済思想の分野では、このような二項対立の図式は広く見られます。もっともわかりやすいところでは 保守 ←→ リベラル だし、さらには 社会民主主義 ←→ 新自由主義 だったり、ケインズ ←→ 新古典派ガラパゴス ←→ グローバリズム なんてのもある。特に近年、新自由主義が広まる中で、このような二項対立の図式は、むしろ力を持ってきたとすら言えます。そもそもリバタリアニズムだとか共産主義だとかアナーキズムなんてのは、このような二項対立的な世界観のなかで「解放」「自由」の側の極みを目指す、という意味でとっても似ていたりするわけで、まあ人間の思考なんてものは、このような二項対立的な世界観からは簡単には抜け出せないのかもしれません。最近もネットで「原発止めたら江戸時代に逆行だ」「江戸時代に戻ることのなにが悪い」「江戸時代に戻ろうとは、なんと馬鹿な」なんてdisり合いをみたのですが、こうなると正直なんだかわけわかりません。


まあずいぶん話は逸れちゃったいましたが、要するに「江戸時代化 ←→ 中国化」というフレームがなんとも陳腐な「近代」観の焼き直しにしか見えないのです。だから実際、この本のなかでも現代日本の話になると「中国化」≒「新自由主義」になっていて、散々見聞きした、既得権益 ←→ 自由競争、保護・規制 ←→ 開放・グローバリズム という構図が「江戸時代化 ←→ 中国化」と重ねられていて、この閉塞感を打破するためには新自由主義的な「中国化」が必然だ、みたいな話になっちゃう。そりゃそうですよ。初めから新自由主義的な二項対立の図式を当てはめながら歴史を追っかけているんですから。


話を戻します。そもそもこの二項対立的な「近代」観のもとでは「中国は近代化がもっとも進行していた」と言えてしまう、ということでした。それでは、多くの歴史家や社会科学系の知識人の間で「中国は近代化がもっとも進行していた」というコンセンサスは広がったのでしょうか。そんなことはないですよね。むしろそれ以前から、従来の「近代」観のほうにこそ疑問が呈されていました。
20世紀以後それも戦後に、西欧史の分野では従来の歴史観が改められるような多く歴史研究の成果があげられてきています。特に西欧「中世」の研究は、従来の「中世」観を大きく塗り替えるものとなりました。それは、近代が「中世という封建的な世界からの解放」だったのではなく、むしろ「中世」によってこそ西欧近代が基礎づけられたとされ、「中世 → 近代」は歴史的な画期を孕みながらも、ある意味連続的な変化でもあり、動学的な把握が求められてきています。さらには西欧中世というのは世界史的にみても実にユニークな世界であって、なにか一般的・普遍的な概念に当てはめて単純化できるようなものでもない、という、まあ考えてみればいたって当たり前の話になっています。


で、そうなると、普遍的な意味合いとしての「近代化」って、いったいなんなのか、ということにもなっちゃって、「中国化」って実際どうなのよ?ということを考えるフックのようなものすらなくなっちゃう。で、結局なんにも言えませんね、なんてオチになっちゃうのもそれはそれでバカらしいので、ここではとりあえず経済的な拡大・発展という側面にだけグッと絞って、さらに話を進めていこうと思います。


西欧中世 → 近代での経済の拡大・発展の進行。そのことを考えるにあたってのポイントは、どのような規模でどのようにして資本蓄積がなされ拡大してきたのか、同時にどのような範囲でどのようにして外部不経済や取引コストを減らし分業・交換等の市場的関係性を広げてきたのか、その時代ごとでの変遷にある、と僕は思ってます。農民のフーフェやマルクを基礎単位とした私的資本蓄積、村や教区、領邦内での共同・分業・交換による相互依存と市場関係の拡大。領主や教会による私的資本蓄積。そして領邦を越えた相互依存から国民国家形成と資本のさらなる集約・蓄積。そして階級分化。さらには国家を超えた相互依存と資本のさらなる集約・蓄積・・・。このように、西欧独自のユニークな、農村共同体だの教会だの領主制だの都市だの国民国家だの絶対王政だの共和制だのといったものが、いろいろなかたちで絡み合いながら、紆余曲折もありつつ資本蓄積の規模と市場による相互依存の拡大が進行してきた、ということがおおざっぱには言えるのです。これを、日本に当てはめて考えれば、じつに日本的なオリジナリティあふれる、惣村、戦国大名、地租改正、兵農分離、村落共同体、城下町、藩、幕府、維新、廃藩置県、等々が複雑に絡み合いながらも、やはり大くくりでみれば資本蓄積と市場の拡大が進行してきた、となります。そして、問題は中国です。


なぜ西欧が世界で抜きに出て資本主義的な経済発展を遂げ、さらになぜアジアにおいて日本だけが19世紀後半から20世紀にかけて、同じように資本主義的な経済発展を遂げたのか?逆に言えば、なぜ中国は資本主義的な経済発展が遅れたのか?よく聞く問題設定ですよね。しかもこの本では中国がもっとも早く「近代化」をしていた、ということを言っているわけです。
それで、この本では「どうして中国や朝鮮は近代化に失敗したのに、日本だけが明治維新に成功したのか?」という問いに対する答えとして、こんな説明をしている。

日本にとっての「近代化」や「明治維新」は要するに「中国化」の別名に過ぎないのだから、「どうして中国や朝鮮は中国化に失敗したのに、日本だけが中国化に成功したのか?」などという問いは文字通りナンセンスです。だって中国は「中国化」するまでもなく最初から(厳密には宋代から。朝鮮は本当はもっと複雑ですが、おおむね李朝から)中国なんですから。

もうね。僕の頭のなかに?マークがポンポンポンポンっと10個くらい浮かんだですよ。おちょくられているのかな?と。


中国が、日本のように資本主義的な経済発展にスムーズに移行できなかった理由は、中国のその「近代的」な社会構造にあります。私的所有が徹底していて地縁的共同体もない。身分もなく領主的支配もない。そんな社会では、経済活動の現場に根ざした適度な規模での資本集約や蓄積がなかなか進行しませんでした。中国では一子相続ではなく分割相続だったことも大きな理由のひとつです。同時に共同態規範といったものが薄く、また領主支配による流通税収入等を期待した市場の規制・整備等もないので、所有権の安全や契約の遵守が保証されにくい不安定な市場でもあり、たとえ自由な取引が可能であっても「取引コスト」がかかりすぎてしまう。ゆえに情報の非対称性を利用したり、リスクを引き受けることで利益を得る、ブローカー的な、それこそ大塚久雄の言う「前期的資本」がメインプレイヤーであり、市場取引の発展にも制約がありました。
それでは1990年代になって、中国が飛躍的な経済発展を成し遂げることができたのはなぜでしょうか。これは技術的な進歩と経済のグローバル化によるところが大きいと考えられます。19世紀ヨーロッパのようなマニュファクチュアから工場制機械工業への移行とか、日本の町工場・中小企業の発展というような、小・中規模な資本の集約・蓄積を経なくても、多国籍企業や国際資本による大規模な資本投下によって資本蓄積が進められ、国際的な分業の一翼を担いつつ、さらにはそれを梃子にして国内市場も拡大し、資本主義的な経済発展を遂げることができたのです。これは中国だけでなく、インドやブラジルなどのBRICsをはじめ、それまで資本主義的な経済への移行にもたついてきた多くの国で、爆発的な経済発展が進行します。まさにグローバリズムの時代の到来です。


で、ですよ。この本の著者は、こんなことは百も承知なはずなんですよ。知ってないわけがない。にもかかわらず、“だって中国は「中国化」するまでもなく最初から中国なんですから”なんて、煙に巻くようなこと書くもんだから、まあこっちはイラつくわけです。
おそらく著者は、欧米や日本のような資本主義的発展を推し進めてきた様々な階層や立体的な制度、社会構造が、今まさにグローバル化の流れのなかで、むしろ足枷になってきている、と言いたいんだろうと思います。一方で中国は、個々バラバラでやっかいな中間団体も無く、レッセフェールで流動的。まさに今先進国が進めようとしている新自由主義的な社会のあり方を、とっくの昔から実現している。中国社会が、現在のグローバル経済の時代にぴったりフィットしているがゆえに、今世界で最も高い経済パフォーマンスを発揮している国である、と。


さてと、ずいぶんと長々書いてきましたが、頑張ってまとめにはいろうと思います。
中国の社会のあり方は、グローバルなこれからの時代、なにかと制度疲労を起こしている日本にとって、なんらかの目指すべきモデルを提示しているのだろうか?ということです。この本の著者は「中国化」というパラダイム転換に、なんらかの可能性を感じているようです。


僕は、20年以上前に欧米の知識人が日本を見習え!といっていた頃、ちょうど大学生でした。そこでは、日本的経営のメリットが語られ、賃金の柔軟性や雇用の流動性が日本的雇用のメリットとしてもてはやされていました。おそらく今の若い人たちからすれば信じられない話だと思います。でもその10年後には、日本的経営が悪しざまに罵られ、アメリカを見習え、解雇の自由化だ、終身雇用が経済をダメにする、と散々言われました。そしてここ数年は、韓国だ中国だシンガポールだ、と。
結局、こういう調子のいい国の経済のあり方をただ追いかけるだけの言説となにが違うんだ?としか思えないんです。中国の社会のあり方がグローバリズムに親和的だから中国経済のパフォーマンスが高い、のではなくて、中国経済が調子がいいから中国の社会のあり方がこれからのグローバル経済に親和的に見えるだけじゃないの?と。


中国はここ10年くらい、年率で10%を超える程の高い経済成長率を実現しています。これは中国の社会が「近代化」をもっとも早く達成していた、自由で流動的でレッセフェールな社会だから、なのでしょうか?
日本も1960年代には二桁を超える成長をしました。ドイツは1950年代中頃に二桁成長を達成しています。しかし、このような「奇跡」とまで言われた戦後の日本とドイツの高い成長率は、けっしてその国の経済システムが優れていたからではなく、戦争によって設備やインフラなどの資本ストックが低水準にあったため、資本蓄積の急速な進行によってもたらされたものと考えられています。
中国の高い成長率の理由も、資本主義的な経済への移行が遅れて、資本ストックが低水準であったため。つまり今は経済の伸びしろが大きいので急速な成長を続けている、と考えられます。逆に日本や欧米は、すでに資本ストックが高水準なため、経済の伸びしろが少なく、低成長モードに入っているわけです。そして低成長ゆえに多くの問題を抱えている。


今の日本にとって「中国化」という課題設定が検討価値のあるものかどうかは、実際に中国が低成長に入った段階で初めてわかるんだと思うんです。
中国は、活発な投資による旺盛な資金需要を補って余りある高い貯蓄率を示しています。しかし資本蓄積が進行することで、いずれは投資需要の伸びは減速してくるはずです。それでも高い貯蓄率(=旺盛な蓄財欲求)が維持されようとするのであれば、実体経済から乖離した資産価格の上昇、つまりバブルや、その後の貯蓄過剰による需要不足での経済的な停滞も危惧されます。このような日本が通ってきた道を、中国は「中国化」をとっくに済ませているから大丈夫、などといったい誰が言えるのでしょうか?僕らは「アメリカは日本とは違うから大丈夫」という言葉を何度も聞かされましたが、それがいかに甘い見通しであったか、2008年に身を持って知ることになります。


ああ、なんだかんだと、こんなに長くなってしまいました。結局ネタにマジレスどころか、ただただ自説を垂れ流すKYになってしまったみたい。まあいいか...


最後に、もう一つ「歴史」な話をからめて。
西欧で始まり、今や世界的に進行している資本主義的な経済の拡大・発展。その特徴は、私的所有のもとでの資本蓄積と、分業・交換等市場的関係性の拡大・深化、だと思っています。そして私的所有というのは「排他的占有」であり、市場的関係性の拡大・深化とは「相互依存」の拡大・深化である、とも言えます。つまり「排他性」と「相互依存」という、一見相矛盾する二つの要素が手を取り合い、車の両輪のようにして、拡大・深化してきた、とも言えるのです。
経済の拡大期には「相互依存」の拡大・深化が進行し、その「排他性」は鳴りを潜めていたとしても、ひとたび経済が停滞期になると、とたんに「排他性」が前面に現われてくる。しかも「相互依存」度が高ければ高いほど、より社会的で、さらには国際的な関係性においても「排他性」が牙をむく。そのことが経済のさらなる停滞、混乱を生み、さらには暴力的な破壊をも生む。近代史を見ていると、拡大安定期と停滞混乱期をくりかえしながら、個々人のレベルから社会的レベルへ、地域レベルから国際レベルへと、徐々に「排他性」と「相互依存」の質的な変化と規模の拡大が進行してきているように思えます。
20年前から停滞期に入っている日本では、排外主義や世代間対立、生活保護叩き、公務員叩き等々、社会に内在していた「排他性」が徐々に顕在化してきており、さらにはそうした「排他性」を煽る為政者やインテリが支持を集めています。そしてリーマンショック以後、日本以外の先進国の経済も、停滞期に入り始めているようです。アメリカでは、ティーパーティー等保守派が先鋭化する一方で、ウォール街デモでの不満の表明は具体的な政策要求にはなりづらく、失業は長期化、深刻化しています。ヨーロッパでは、通貨統一で「相互依存」を拡大して経済も成長につなげてきましたが、その「相互依存」の拡大ゆえに、リーマンショック後はEU内での政治的「排他性」が事態を深刻化させているように見えます。
ここ20年、自国内においても国際関係においても経済的な「相互依存」を急拡大してきた中国。資本蓄積が進み、今ほどの成長が望めなくなった時、つまり低成長期に入ったときに、中国では「排他性」がどのように現れてくるのでしょうか?少なくとも資本主義的経済拡大以前の時代における混乱期とは、質的にも量的にもその影響範囲においても、大きく異なるものであることは容易に想像ができます。
中国は世界で最も「近代化」が進行した国なので、調整や統御、変革もスムーズに行われる。面倒くさい民主主義的な制度(=封建遺制)も限られているから、厳しい能力主義で選ばれた官僚たちによって迅速な政策決定が行われ柔軟に対応できる。停滞がさらなる停滞を呼んだり、ましてや暴力的な破壊につながる恐れは、「江戸時代」的なものを色濃く残した日本に比べれば、少ないはず。そんなお気楽なことが言える根拠をほとんど見いだせないのは、僕が悲観論者だからなのでしょうか?