「教育と平等」苅谷剛彦

今回は、最近読んだ本を紹介


苅谷剛彦先生の本は、「欲張り過ぎるニッポンの教育」(講談社現代新書)という対談本(この本は、対談本としては極めてよくできた本なのでオススメ)しか読んだことがありませんでしたが、今回中公新書の新刊本のところに並んでいたのを見つけ、早速買って読んでみました。

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)


教育問題というのは、それこそ右側や左側の国を想う人たちの最大の関心事であると同時に、誰もが一度は日本の教育を受けたことがあるという、自らの体験による議論への参加のしやすさもあってか、なんというか上っ滑りな、それこそ居酒屋談義のような話がやたらと多く耳に入ってきます。まあでも居酒屋の中だけで済んでいればまだしも、現実には政治や思想の中心にまで浸食してきている。この本はそんな実状に対して、「教育」というものを考える上で必要な視座、アプローチの方法を、自らの実践を以て提起しています。

 かつて、ロラン・バルトは、神話の作用について、「歴史を自然に移行させる」ことであると言った(バルト1967、169頁)。「自然」、すなわちあたりまえのこととして、「歴史」を忘れさせてしまう。

 戦後の日本社会に特徴的な「平等」 ― 考え方だけにとどまらず、その制度化やその作動、さらにはその影響やその結果としての状態を含めて ― があったとしたら、それはどのようにして生まれ、どのように変節してきたのか。それが生成する過程で、私たちにどのような影響を及ぼしてきたのか。「全員が百点!」を標榜する立場も、それを日本的平等観と単純に見なし批判する立場も、いずれも「歴史」を忘れている。あたかも、それらがすでにそこにあるものとして見なしている。だから、さまざまな誤読や誤解が生まれるのだが、そうした錯誤=屈折が生じる理由を探るためにも、「歴史」を取り戻すことが重要な課題となる。

 公教育が税金によってまかなわれている以上、そこで行われる教育を支えているのは、さまざまな教育資源(施設・設備、教職員、教材・教科書、その他諸々の財やサービス)であり、それらの多くは、義務教育の場合、公的な教育支出に負っている。当然、そこには、どのようにして教育資源を配分するかを決めている仕組みがある。さらには、そうした仕組みを動かしているルールや考え方がある。

 ところが、私たちの多くは、それらがいかなるものなのかを知らない。ましてや、そこでのルールやそのルールの元になる考え方、理想、理念といったものが何であったのか、それがどのように作られ、制度化され、どんな影響を教育の実践に及ぼしてきたのか、私たちの考え方にどう影響してきたのかを知らない。知らなくても、いまの教育を論じることはできる。

 いや、もっと言えば、そのようなことに気づかずとも、毎年、日本中のすべての公立小中学校にはお金が配分され、そのお金で雇われた一定数の教師が、これまたそのお金によって利用できるようになった施設や設備や教材を使って、日々「教育」を行っている。その資源の配分には、必ず一定の仕組みとルールがあり、それを私たちが ― 多くの場合には暗黙のうちに ― 受け入れているからこそ、中断することなく教育が行われているのである。

 本書の企ては、こうして「歴史を自然に移行」させてしまったことが生み出す平等神話の解読である。この神話のもっとも基底にあると私が仮定する、教育資源の配分の構造とそれを作動させているルールに着目し、それらを地層から掘り起こし、時間軸に沿って、その生成と変化を再構成してみようというのである。


わたしたちが、教育問題を語る際に、当たり前のものとして埋もれさせてしまっている「歴史」「制度」「経済」。この本では、まさにその埋もれた「当たり前」の構造が掘り起こされていきます。
内容は、新書にしては専門性も高く、まあ悪く言えば地味です。スリリングな展開もなく、「目から鱗が落ちた」みたいな、今までの常識をひっくり返すような発見もなく、ただただ淡々と、日本の公教育の「歴史」、それも教育財政の配分ルールの形成史、そしてそれが今なお「公教育」における土台となる教育財政において、脈々と生き続けているという事実、さらにはこの土台に規定されてきた日本の教育思想に至るまで、ディテールをもって、まさに「掘り起こされ」ます。
わかりやすい「答え」を求めるような人たちには、とても退屈な本かもしれません。でも、より立体的でディテールの細かい「認識」を求める人からすれば、これほどわくわくする面白い本もないかもしれません。


「社会科学」とはこういうものだ!と、苅谷先生が手本を示してくれている、そんな本です。
ということで、同じく中公新書の「大衆教育社会のゆくえ」も、読んでみたくなりました。