エコノミストのコンセンサスは、経済学における一般論

今回は、ブログ界で有名な、あの池田信夫先生のエントリーから。(ちょっと前のものですが...)
経済学者のコンセンサス - 池田信夫 blog

かの有名なグレゴリー・マンキュー先生のブログから引っ張ってきたものですね。マンキューのブログも、あるアンケートから引いてきたもののようです。

実は「マンキュー経済学(第2版)」にも、この話がイントロダクションで出てきます。なので、そっちの方を引用します。

政策提言と経済学者の賛同率
1 家賃の上限規制は住宅供給の量・質ともに低下させる 93%
2 関税と輸入割当ては一般的な経済厚生を低下させる 93%
3 変動為替相場制度は有効な国際通貨制度である 90%
4 不完全雇用状態の経済では、財政政策(減税や財政支出拡大)には顕著な景気刺激効果がある 90%
5 連邦予算を均衡させるためには、毎年の値ではなく景気循環を通じての値を均衡させるべきである 85%
6 生活扶助受給者への現金給付は、同額の現物給付よりも受給者の厚生を高める 84%
7 巨額の財政赤字は経済に悪影響をもたらす
8 最低賃金の引上げは、若年労働者と未熟練労働者の失業率を引き上げる 79%
9 政府は社会福祉制度を「負の所得税」形式に改革すべきである 79%
10 環境汚染規制のアプローチとしては、排出税や売買可能な排出権のほうが、総量規制の導入よりもすぐれている 78%
(出所)Richard M. Alston, J. R. Kearl, and Michael B. Vaughn, "Is There Consensus among Economists in the 1990s?" American Economic Review (May 1992) : pp.203-209.

マンキューのブログで紹介されているものより、項目はちょっと少ないです。
まあそんなことよりも、池田先生の訳とこちらの日本語版の「マンキュー経済学」の訳とでは、ほんの少し違っています。「現物給付」が「所得の間接的な再分配」になっていたり、ちょっと突っ込みたいところもあるのですが、その辺はこちらで...
la_causette: 原文を確認しないと危ない


少し注意が必要なのは、池田先生が「福祉」と訳し、「マンキュー経済学」の日本語訳では「厚生」となっている、'welfare'。経済学における「福祉」とか「厚生」って、僕らがイメージするものとはちょっとニュアンスが違うようです。僕らが「福祉」という言葉からイメージするのは、弱者救済とか、平等なサービス提供とか、いわゆる「公共福祉」に相当するものですが、経済学では各個人の経済的福利(効用)の総計になります。なので、「経済的福祉を悪化させる」とは、各個人が受けられる経済的効用の総量が減るということのようです。


さて、池田信夫先生は最後にこんな一言をつけています。

素人がこのリストを見たら、「資本家に奉仕する新自由主義だ」というかもしれないが、そんなナンセンスな議論は日本にしか存在しない。

日本にしか存在しないんだそうです。


ちなみに「マンキュー経済学」でこのアンケートが紹介されている部分では

もし、このアンケートが一般の人々の間で行われたものであれば、これらの政策提言の多くは、これほどのコンセンサスを得ることはできなかっただろう

となっています。要は「一般の人たちの常識と、経済学者の常識はちょっと違いますよ」ってなことが言いたいがためにこの話を持ち出していて、じゃあこの経済学者の常識というのはどういう理屈から導き出されるのか?ということをこれからこのテキストで学んでいきましょう、ってなことです。
だから、別に日本だけがおかしいわけじゃないでしょう。まあ池田先生の引用の仕方は、いつものように恣意的です。




それでは、マンキューが紹介した経済学者のコンセンサスについて戻ります。ここにあげられた話は、確かに一般論としてそうなんだろうけども、でも話はそんなに単純じゃないよなぁ、と思うことばかりです。そして「マンキュー経済学」を読み進むと、やはり話はそんなに単純ではないことがよくわかるようになっています。
例えば、最低賃金についてですが、「マンキュー経済学(第2版)ミクロ編」では、以下のように書かれています。

最低賃金の効果がどのようになるかは、需要の価格弾力性に大きく依存する。高い最低賃金を支持する人たちは、未熟練労働者の需要は相対的に価格弾力性が低いので、最低賃金を高く設定しても雇用はわずかしか減少しないと主張する。最低賃金に反対する人々は、労働需要はとくに企業が雇用や生産を調整する長期においてより弾力的であると主張する。またそうした人たちは、最低賃金で働く労働者の多くは中産階級の10代の若者なので、高い賃金は貧しい人々を救済する政策としては不完全であると注意を促している。

さらに「マンキュー マクロ経済学1-入門編-(第2版)」では、こんな話が紹介されています。

ケース・スタディ最低賃金に関する新しい見方
 ほとんどの経済学者は、最低賃金の引上げは未熟練労働者の雇用を減らすと考えている。しかし、最近の研究はこの結論に対して懐疑的である。デービッド・カード、ローレンス・カッツ、アラン・クルーガーという3人の有力な労働経済学者は、最低賃金の変化のケース・スタディを行い、雇用の反応の大きさを推定しようと試みた。彼らの得た結果は驚くべきものだった。
 一つの研究は、ニュージャージー州最低賃金を引き上げたときの、同州におけるファストフード店の雇用の分析である。ファストフード店は多くの最低賃金労働者を雇用しているので、検討に適した対象である。経済全般の状況のような他の諸要因をコントロールするために、河一つ隔てたペンシルバニア州の店とニュージャージー州の店を比較した。ペンシルバニア州では、同じ時点で最低賃金を引き上げていなかった。標準的な理論によれば、ニュージャージー州の雇用は、ペンシルバニア州の雇用に比べて少なくなるはずである。ところがデータは、その仮説に反して、ニュージャージー州の雇用が増加したことを示した。
 この一見おかしな結果はどうして起こりえたのであろうか。一つの説明は、企業が労働市場においてある程度の市場支配力をもっているというものである。ミクロ経済学の講義で学んだかもしれないが、要素市場において需要独占の立場にある企業は、完全競争企業に比べて賃金も低く、雇用も少ない。要するに、支払う賃金を低くするために、雇用を減らすのである。最低賃金は、需要独占企業がこの戦略を実施するのを妨害することを通じて、(ある程度)雇用を増やすことができる。
 最低賃金に関するこの新しい見方は、論争を巻き起こしている。この研究を批判する人たちは、ニュージャージー州の分析で用いられたデータの信頼度を問題視している。他のデータを用いた研究では、最低賃金が雇用を減少させるという伝統的な結論が確認されている。そのうえ、ほとんどの企業が他の多くの企業と労働市場で競合しているので、需要独占という説明に対しても多くの経済学者は納得していない。しかしながら、この新しい見方は、政策論争に直接的な影響をもたらした。クリントンが政権をとると、ローレンス・カッツがまず労働省の主席エコノミストとなり、アラン・クルーガーがその職を引き継いだからである。したがって、クリントン大統領が最低賃金の引上げを支持したことは、当然というべきであろう。


まあ、とにかく現実はそんな単純じゃねーよ!ってことなんでしょう。エコノミストのコンセンサスは、あくまで一般論での話であることがよくわかります。


ついでに「マンキュー マクロ経済学1-入門編-(第2版)」では、ヨーロッパの失業率について、なかなか含蓄に富んだ解説がされているので引用します。

 ヨーロッパの失業率が上昇した理由は何だろうか。確かなことはわからないが、一つの有力な仮説がある。それは、失業者への手厚い給付と、熟練労働者と比較して未熟練労働者の需要が技術進歩によって低下したことである。多くの経済学者は、この二つの要因が重なったことによって、ヨーロッパの失業率が上昇したと考えている。
 よく知られているように、ヨーロッパ諸国の多くでは、失業者に対して手厚いプログラムが用意されている。そうしたプログラムには、社会保険福祉国家、あるいは単に"the dole"(「施し」の意)など、いろいろな名前がつけられている。ヨーロッパの多くの国々では、失業者は給付をいつまでも受け続けられることができる。アメリカでは短期間しか受給できないのと対照的である。手厚い給付制度をもっている国ほど失業率が高いことは、さまざまな研究によって確認されている。ある意味では、そうした"the dole"に頼って暮らしている人々は、労働市場に参加していない。就業可能な雇用機会と比べると、失業しているほうが魅力的なのである。しかし、そうした人々も、政府統計においては失業者に参入されることが多い。
 また、未熟練労働者の需要が、熟練労働者の需要と比較して減少していることも明瞭である。この労働需要の変化は、おそらく技術変化によるものだろう。たとえば、コンピュータは、それを使える労働者の需要は増やしたが、使えない労働者の需要を減少させた。アメリカでは、この需要の変化は、失業数ではなく賃金に反映された。この20年間で、未熟練労働者の賃金は熟練労働者の賃金に比べて大きく低下した。しかし、ヨーロッパでは、福祉国家が未熟練労働者に対して低賃金労働の代替物を提供してきた。未熟練労働者の賃金が低下するにつれて、より多くの労働者が"the dole"を最適な選択とみなすようになったのである。その結果が失業の増大であった。

そして、以下の言葉に続きます。

 ヨーロッパの失業に対するこの説明からは、単純な解決策はみえてこない。失業者に対する公的給付を減らせば、労働者は"the dole"から脱け出て、低賃金の職を受け入れるであろう。そうなれば、経済的不平等は悪化する。しかしそれこそが、福祉国家が対処しようとした根本問題なのである。

マンキュー経済学〈1〉ミクロ編

マンキュー経済学〈1〉ミクロ編

マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇

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