「「空気」の研究」山本七平

最近は、知識の吸収にはまり込んでいて、あまり吐き出すネタはないのですが、とりあえず週1くらいの頻度では更新していきたいと思っているので、ちょっと前に読んだ本の感想なんぞを。


KYなんて言葉が流行ったためか、この山本七平の著作があらためて注目されるようになったのでしょう。僕のアンテナもビビッと反応して、気付いたらアマゾンのカートに入っていました。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

僕はいわゆる日本的?なる組織だの関係性だのの話になったとき、まあやっぱりそうだよなあと思うのは「自立した個人」がない?といったような話です。そして、そういった「個人」が欠如した関係性みたいなものの力学としての「空気」なるものに興味があったんです。
でも山本七平氏は、どちらかというと「精神性」とか「宗教」とか「非合理性」などといった部分から切り込んでくるわけです。つまり、合理的・理性的判断の対極としての「空気」。「臨在感的把握の絶対化」といった話になってくる。


実を言うと、山本七平の著作を読むのは初めてです。なんなんでしょう?とっつきにくいというか、読みづらいというか...そもそも、僕は「宗教性」みたいなものがあまりよくわからないわけです。抽象的に感覚に訴えてこられても、うまく脳内で処理できないんです。なので、ちょっとわかりづらい。
それに「それって空気に支配されていますよ!」という話が最初のほうで出てくるんですが、その事例が、なんというか時代を感じてしまう。自動車の排ガス規制やイタイイタイ病日中国交正常化などなど、今から振り返ってみれば山本七平氏には分が悪いなあとも思えてくるネタばかり。排ガス規制については、NOxが有害だという証拠もないのに規制とは、日本の自動車メーカーの競争力を落とすだけだ。こんな不合理は、まさに空気によるもの。ってな話になっているんだけれども、実際にはその有害性と共に酸性雨の問題も出てきて、日本の厳しい規制が日本のメーカーの競争力を逆に高めた結果となっている。さらにはイタイイタイ病の原因がカドミウムではないといった話まで出てきたり、なんて言うんですかね、最近でも地球温暖化懐疑説を振りかざす人たちなど、よく聞くような話ではあるんだけれどもねえ。
まあでも、実際70年代って左翼的な空気の支配って間違いなくあったとは思います。本来、近代的な合理主義を基にするべき左翼も「空気」に頼っていたから、今のような凋落っぷりもあるわけで、いろいろ考えさせられます。

この本は、空気の支配、その現象面を表現していますが、なぜこうなるのか?といった問いかけにはあまり答えてくれていません。そこはやはり日本人の宗教観等にもなるのでしょうが、僕にはわかりづらかったのかもしれません。
むしろぼくが読んでみて気になったのは、山本七平氏の「空気の支配」に対する抵抗感、もっと言えば反抗心、復讐心、やりきれなさ、であり、その山本七平的精神のバックボーンです。
「私の中の日本軍」とかを読んだほうがおもしろいのかもしれませんね。