「経済学の歴史」 根井雅弘

根井雅弘先生については、以前のエントリーで触れたことがあります。
根井先生の本は何冊か面白く読ませていただいたのですが、たぶんこれが1番のお勧めということで紹介します。

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

経済学の歴史 (講談社学術文庫)

目次

挙げられた経済学者は12名。このセレクトもなかなかです。(個人的には、ちょっとガルブレイスだけ違和感があるかな?)


最近、金融危機をきっかけに、あらためてケインズが注目されるのは予想通りだったんですが、アダム・スミスの新書が売れたり、マルクス資本論のマンガ解説本が売れたり、ちょっとした古典経済学ブームかしら?と思うような状況もあるわけです。
そして、そんな時流にちょっと乗ってみようか、とお考えの方にもってこいの本がこれです。ただ、難点は少しとっつきにくいかもしれないことでしょうか。若干難解です。

12名の経済学者それぞれについて、彼らが生きた時代がわかるような小伝からはじまり、それぞれの経済学・経済思想のポイント(根井先生なりの解釈ではあると思いますが)を、ダイジェストで紹介しています。逆にいえば、それぞれの経済学者について、あまり深い理解は得られない。よく理解しようと思えば、それぞれの経済学の解説本を読む必要はあります。なのでこの12人の中から、この人にあらためて興味を持ってしまい関連本を読みたくなる、そんな刺激を期待できる本と考えればいいでしょう。


そして、この本を読んであらためて感じることは、それぞれの経済学者が生きた時代と、彼らの経済学・経済思想がとてもリンクしているということ。つまり経済学・経済思想の変遷を読みながら、資本主義経済の発展・変化の歴史をなぞっていることに気づくのです。
経済学が決して時代から切り離されていないこと。逆にいえばその時代、時代によって資本主義経済というものが大きく変化してきており、歴史的な制約の中でしか経済学は発展してこなかったということが、俯瞰してみることであぶりだされてきます。


現代の主流派経済学は、普遍的な経済モデルを追及しており、学問の進歩により、より普遍的なモデルに近づいたと考えられているようです。しかしそもそも資本主義経済はそれほど普遍的で永続的なものなのか?さらには、経済学者が考える普遍性というものも、所詮は歴史的な制約から逃れられていないのではないか?ということ気づきます。(実際、今の主流派経済学は、70年代のスタグフレーションと90年代以降のグローバル化、経済の安定的発展という状況の中でこそ説得力をもちえたわけで、今回の金融危機後、主流派経済学がどのように書き直されていくのかは楽しみです)


さて、そんななか、僕が最も興味を持った経済学者は、カール・マルクスとJ.A.シュンペーター。超長期の経済に対する視座が興味深かったです。我々はどこから来て、どこに向かっているのか?そんな問いかけは、経済学なんて関心のない人間でも、興味の惹かれるところ。そして、彼らが考えていた資本主義の未来とは、また違った形で展開されているとされる現代の経済。でも、見えないところで矛盾がくすぶっているのかもしれない。長期的な停滞に陥っている日本経済を見ると、そんな考えも浮かんできます。


さらにピエロ・スラッファによる古典派の価値論の再生についても、僕的には興味津々。今やすっかり需要と供給の均衡による価格・価値論が当たり前となっていますが、限界革命以前の古典派(スミス、リカードマルクス等)の労働・生産の側からの価値論を、あらためて再生するという彼の仕事は、経済学の奥深さを感じさせてくれます。この本の紹介レベルでは正直わかりづらいのですが、「労働」「生産」という視点から価値を見つめた場合に、主流派の経済モデルからは見えてこない何かがありそうです。


というわけで、根井先生の本はとにかく興味を広げてくれます。