自然失業率とは?

今回はマクロ経済学についてのお話。それも僕らが最も関心のある失業率について。といってもなんだかややこしい話でもあります。まずは経済学の基本命題から。

「供給はそれ自身の需要を創造する」

セイの法則 - Wikipedia
「供給はそれ自身の需要を創造する」っていうのは、ちょっと要約しすぎのような気が...これじゃなんだかよくわかりませんね。
マクロ経済学において、供給(総供給)っていうのは、国全体での財やサービスの生産のことを言っていて、それらが販売されることで、最終的には個人または法人の所得(総所得)になり、そして所得は需要(総需要)になる(供給→所得→需要)。だから「供給はそれ自身の需要を創造する」ってことになるんだろうけれども、まあでもよく考えると、供給→所得→需要→供給っていうようにぐるぐる回っていて、実は総需要と総供給っていうのはコインの裏表みたいな感じもするんで、やっぱりなんだか混乱します。
僕なりの解釈で言うと、市場の機能により、効用を最大化するように価格調整や資源(資本や労働力)配分が行われ、供給力が最大・最適に活用されるということ。だから全体の生産量(GDP)は、供給力が増えることで成長するという考えなのでしょう。


さて、なんで「セイの法則」をここで挙げたのか。
市場原理によって供給力が最大効率で活用されるということは、有効な労働力が最大限に活用されるということ。つまり「セイの法則」によれば、市場において有効な労働力はほとんど余らない。非自発的な失業は、市場原理によって可能な限り解消される。逆に失業が存在していれば、それは市場がうまく機能していないということになります。


このセイの法則は、かつてケインズが批判したことによって、ものすごく有名になったものです。昔のマクロ経済学の教科書では、初めのほうのページで、この「セイの法則」を簡単に紹介しつつ、それを覆すケインズの「有効需要の原理」が解説されていました。
例えば、「入門マクロ経済学 第2版」(中谷巌 1987年)では、それこそ最初のほう12ページに以下のように紹介されています。

セイの法則とは、経済活動の水準を決定づけるのは需要ではなくて、供給のほうである、なぜならば、供給はつねにそれに等しい需要を創り出すからである、というのがその中心命題です。ケインズ経済学はちょうどその逆で、経済の運行を考えるのに大事なのはむしろ需要のほうであって、不況期には「需要が供給を生み出す」ということを主張しました。これを「有効需要の原理」とよんでいます。

つまり、なぜ非自発的失業が問題になるのかといえば、それは需要が不足しているからだ!といったのがケインズなのですね。


ところが、最近読んだ「マンキューマクロ経済学」では、この「セイの法則」には全く触れられません。そのかわり、最後のまとめで以下のように書かれています。

長期において、GDPは生産要素である資本と労働に依存し、そして資本と労働を産出に変える技術に依存する。生産要素が増加したり、利用可能な技術が改善されると、GDPは成長する。

しかし、短期においてはGDPは財・サービスの総需要にも依存する。短期には価格は硬直的なので、総需要は非常に重要である。

長期においては、やはり「セイの法則」が生きているようです。ただし短期においては、市場の調整機能が即応できないで、需要が不足するということがあるということ。つまり短期ではケインズの考え方が生きてくるのでしょう。
では失業についてはどのように考えているのでしょうか?


「マンキューマクロ経済学」では、失業についての章(日本語訳 第4章)において、アメリカの失業率の推移をグラフで紹介しています。

これをみると、細かく上がったり下がったりしているのが、短期における失業の拡大・縮小のようですね。このような上がり下がりは市場の調整が即応しきれないことから起きると考えているのでしょう。
では、このグラフの中で自然失業率と書かれている線はなにか?
そう、つまりこの自然失業率が、市場の調整機能が働いて均衡するポイントであり、供給側によって決まる失業率になるという考え方のようです。
ということで、いよいよ本題に入ります。この自然失業率とは、なんなのか??

自然失業率仮説

「マンキューマクロ経済学」では、

自然失業率は、定常状態(steady state)、すなわち経済が長期的に収束する状態における失業率と考えることができるだろう。

として、自然失業率の水準を決める要因について、摩擦的失業、実質賃金の硬直性と待機失業を挙げています。


ついでに昔の教科書、「入門マクロ経済学 第2版」(中谷巌 1987年)では、新しい一つの考え方として、自然失業率仮説を紹介しています。

フリードマンによれば、自然失業率とは「労働市場の有効性、競争または独占の程度、各種の職業で働くことにたいする障害またはその円滑さなどの実質的要因 − 貨幣的要因に対立するもの − に依存し」「労働市場の現存する実質的条件に応じて生じる」失業率とされています。
 このままではわかりにくいのですが、要するに、労働市場はその時代時代によってさまざまな制度(労働基準法最低賃金社会保障、税制、職業安定所の機能、男女雇用機会均等法など)によって支えられているわけですが、「そのような制度的枠組みを所与とした場合に、マーケット・メカニズムが決定する失業率の水準」と解するのが、フリードマンの意図する自然失業率の定義です。

要するに、労働市場の問題が、自然失業率を決めるということのようです。職業安定所などの求職者と求人企業のマッチングが効率よく行われるか?ということと、労働組合や解雇規制などの労働者保護などによって、賃金が硬直的になっていないか?ということが自然失業率を左右する。
つまり、「セイの法則」により、労働力は最大限活用されるのだけれども、労働市場の調整力がいまいちだと、その分失業が生まれてしまうということなんでしょうね。


逆にいえば、経済成長率だの景気だのといったことは、短期的な調整局面で失業を生み出すことはあっても、長期的な失業の増減には関係しない。長期的な失業の増減は、労働市場の問題ってことになります。


ここのところ、個人的な感想を言わせてもらえば、もうひとつ納得できないんですよね。


そして、失業率の長期的なトレンド(自然失業率の増減)は、労働市場の問題としてうまく説明できているのか?というと、これがどうもやっぱりいまいちというか、まあよくわからんということのようです。
ということで、アメリカの長期的な失業率のトレンドについて、「マンキューマクロ経済学」より

 過去50年間を通してみると、アメリカの自然失業率は決して安定してはいなかった。図4-1に戻ってみると、平均失業率は、1950〜60年代には5%未満であるのに対して、70〜80年代には6%を超え、90年代になって5%台に戻った。このトレンドに対して経済学者は明確な説明を提供できていないが、少なくとも二つの主要な仮説が示されている。

として、一つ目に人口構成の変化によるものという説を紹介。若年層の失業率が高いので、若年層が多い時期(ベビーブーム世代の労働市場参加)が平均失業率を押し上げたという考え。ただし、年齢層に分けて失業率をみると、それだけが原因とは考えにくいとのこと。二つ目には、部門間シフトが広範になって、摩擦的失業が増えたという説。要するに例えば製造業からサービス業へ多くの労働者がシフトした時期には失業率が高いということ。この二つの説を紹介した後、以下に続きます。

 結局、失業率のトレンドについてはいまだに謎である。提示された諸仮説のいずれも謎の解明に部分的に寄与したかもしれないが、どれも決定的なものではない。一つの要因では説明できないのかもしれない。失業率の1970〜80年代における上昇トレンドと1990年代の下降トレンドは、いくつかの独立した要因が組み合わさった結果なのかもしれない。


僕の素人的感覚で言えば、1970〜80年代のアメリカ経済は、いろいろと調子悪かったから失業率のトレンドも上がり、1990年代以降は経済が絶好調だったから失業率のトレンドは下がったんだとしか思えないんだけど、それじゃあ説明になっていないんでしょうね。


ということで、自然失業率まわりの話は、まだまだ続きます。


マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇

マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇

マンキューマクロ経済学(第2版)II応用篇

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入門マクロ経済学

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