自然失業率について再び。成長率との関連で。

ちょっと仕事が忙しいのと、村上春樹の新刊を読み始めてしまったのとで、なかなか更新ができません。で、今回は以前ここで触れた「自然失業率」について、「スティグリッツマクロ経済学」のなかで興味深い話が書いてあったので、とりあえずメモ的にアップ。

新しいトレードオフ
 低失業と低インフレーションは、マクロ経済政策の主要な目標の二つである。これらの実現に成功したことが、1990年代半ばから2000年にかけてアメリカ経済についてもっともよく論評されてきた点であった。1990年代初めには、多くの経済学者はNAIRUはほぼ6%であるとみなし、失業がこの水準以下になるとインフレーションが上昇しはじめると予想していた。そして1994年末に失業率が6%を下回ってさらに減少をつづけ、2000年4月には3.9%という低水準に達した。しかしインフレーションは上昇しなかった。事実、1994年の年率2%(GDP物価指数で測られたインフレ率である)から、1988年には1%を少し上回る程度まで下落した。図に示されるように1990年代は失業もインフレーションも下落した時期であった。

ここで出てくるNAIRUというのが自然失業率のこと。インフレ非加速的失業率(NAIRU=Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)。金融政策によって、失業率を減らそうとしても、このNAIRUよりも少ない失業率を目指すと、インフレにつながる。だから「インフレ非加速的失業率」。そして、1990年代のアメリカは失業率が低くなり、同時にインフレも下落。これってどういうことでしょうね?っていう話。自然失業率(NAIRU)が低くなったのでしょうか?だとすれば、もともと自然失業率は労働市場によって決まるということだったので、何かアメリカの労働市場に大きな構造変化があったのでしょうか?

 これまで、インフレーションと失業の関係を論じる際には、政策当局者が短期において直面する、失業とインフレーションの間の基本的トレードオフを強調してきた。1990年代の経験からエコノミストは、こうしたトレードオフが変わってしまった、すなわち低い失業率はもはやインフレ上昇を引き起こさないと主張するようになった。新しい情報経済が、この好ましい変化を説明する主要な要因であると指摘されている。これによって、政策当局者の高インフレーションの危険と高失業の危険とをうまくバランスをとらなければならないという課題は、新しい経済においてもはや意味がなくなるということになるのであろうか。

「新しい情報経済が、この好ましい変化を説明する主要な要因であると指摘されている」ってどういうことでしょう?IT技術の進歩により、将来への期待、予測が最適に行われるようになり、労働市場においても賃金や雇用の調整がスムーズにいくようになったという考え方でしょうか?でも、それはさすがにムリがあるなあ...

 残念なことに、経済に影響を及ぼしている新技術は有益な側面を多く持っているが、インフレーションと失業のトレードオフを解消するまでに至っていない。

やっぱりそうですよね。

このトレードオフは、労働市場と企業が生産する財の価格づけとの関連から生じている。失業が減少し労働市場が逼迫すると、企業は必要とする労働者をひきつけて雇用することが難しくなる。したがって企業は、欲しい労働者を雇用するためにも、現在の労働力を維持するためにも、より高い賃金を提示しようとするインセンティブを持つ。こうした賃金上昇が労働生産性の伸びを上回ると、企業にとっては生産費用が上昇する。生産費用の上昇に直面すると、企業は価格を上げはじめる。ただし、賃金上昇が生産性上昇を上回らないかぎり、低失業と低インフレーションは共存できる。第9章「総需要とインフレーション」のe-insight「生産性上昇とパンチボウル」で論じたように、近年経験してきた急速な生産性上昇によってアメリカ経済は、インフレーションを上昇させることなしに、より低い失業を享受することができた。しかしそれは、もはやインフレーションと失業のトレードオフが存在しないことを意味しているわけではない。失業率が新しいNAIRUより低くなると、賃金上昇は生産性上昇を上回り、インフレーションが上昇しはじめるのである。

でました!!「近年経験してきた急速な生産性上昇によってアメリカ経済は、インフレーションを上昇させることなしに、より低い失業を享受することができた。」だそうです。そうですよね。経済成長率が高いから失業率が低くなっていた。僕ら経済学素人の一般的な感覚では、これが一番説得力ある。

あれぇ?でも、今の主流派経済学では、長期においては、賃金と労働生産性は一致するんですよね。アメリカの低失業率は10年以上も続いてきたわけですよね。10年を平均で見れば長期均衡で説明できるんじゃないの?

 本章で学んだADI-SRIAモデルは、インフレーションと失業がともに下落する期間を矛盾なく説明することができる。SRIA曲線のシフトはインフレと失業をともに同じ方向に動かす。1970年代の石油価格ショック(オイルショック)は、SRIA曲線を左方シフトさせたことによって、インフレーションを上昇させ、産出量ギャップを小さくした(それは失業の増加をもたらした)悪性のインフレ・ショックの例である。1990年代の急速な生産性上昇は部分的に好ましいインフレ・ショックともみなされ、SRIA曲線を右方シフトさせた。経済において経験するインフレーションと失業の動きは、ADI曲線とSRIA曲線の両方によって決定される。金融政策と財政政策は主にADI曲線に影響を与えるため、ADI曲線を左方にシフトさせる政策は、失業を増加させる一方で、インフレーションを低下させる。またADI曲線を右方にシフトさせる政策は、インフレーションを高め、かつ失業を下落させることになる。これが政策当局の直面するトレードオフである。

ここも難しい話が書いてあるんだけど、SRIA曲線というのは短期の総供給の物価(インフレ率)と生産量の関係を表したもの。右上がりの曲線で描かれます。ちなみに長期での総供給はLRIA曲線と言って垂直な直線、つまり総需要曲線がどう動いたって、生産量は供給側によって決まっている。ADI曲線は総需要の物価と生産量の関係を表したもので、こちらは右上がり。
とにかく、短期の総供給の物価と生産量の関係を表すSRIA曲線が、急激な経済成長によって右にシフトすることで、物価水準は下がりながら、生産量が増える(失業率が減る)という説明。
わかりやすく言うと、生産性が増えれば、より安く大量につくれるようになります。ただし、長期均衡で考えれば、生産性に合わせて賃金も上昇するので、物価水準は変わらない。でも短期では、賃金の上昇が生産性の上昇より遅れることで、より安く生産が可能となります。安くなれば需要はより増え、需要が増えれば仕事も増える。失業率が減る。ということですね。
アメリカが10年以上の長きにわたって、長期均衡ではなく、短期分析のモデルで説明できるような状況にあったということでいいのかな??


この考え方でいけば、アメリカの失業率が低いのは自由な労働市場のおかげであり、ヨーロッパやカナダで失業率が高くなってしまったのは労働者保護がいけないんだ、という経済学者の理屈は崩れかねません。
アメリカはIT産業でも金融でも世界の中心となって、経済成長率が高くなったから、失業率が低くなっていた。だから雇用は市場任せでも問題なかった。
ヨーロッパやカナダは、アメリカのような成長は実現できなかった。経済成長率が低かったから、失業率が高くなった。だから労働者保護を手厚くする必要があった。
こういう説明もできるということですよね。どうなんでしょう?