POSSE vol.8「マジでベーシックインカム!?」 − 続き

前回のエントリー『POSSE vol.8「マジでベーシックインカム!?」』の話の続き。

POSSE vol.8 マジでベーシックインカム!?

POSSE vol.8 マジでベーシックインカム!?

前回は、POSSEの特集をもとに、ベーシックインカムにまつわる言説を、制度面からと理念面から、思った事を書いたんですが、今回は「経済」、それも「労働市場」に絡む話を。


POSSEの特集に、「経済成長とBIで規制のない労働市場をつくる」と題して経済学者の飯田泰之さんへのインタビューが載っています。
飯田泰之さんはベーシックインカム肯定派ですが、現状ベーシックインカムは財源的にも難しいので「負の所得税」というものを提案しています。が、そんなことよりも気になるのは、最低賃金制度のくだり。飯田泰之さんはインタビュアーに最低賃金について聞かれると、こう答えています。

全廃するとよいでしょう。賃金に対する規制ほど馬鹿げたことはないと考えています。

この後、飯田泰之さんの最低賃金に対する考え方が述べられていくんですが、そのなかでこんなことを言っている。

BIを導入すれば賃金が上がりますよ。だって働きたくなければ働かなくなるわけですから。

でも、インタビュアーにそんなことはないんじゃないか?と突っ込まれて、地方は賃金を下げざるをえない。東京は上がるんじゃかな?というふうに言いなおしてはいます。
そこで僕がここで考察したいのは、ベーシックインカム導入+最低賃金制度の廃止によって、果たして賃金は上がるのか?下がるのか?それも貧困層の非熟練単純労働の労働市場の賃金がどうなるのか?ということです。


飯田泰之さんの言う、ベーシックインカムを導入すれば賃金が上がるだろう、という考えは、おそらくこういう理屈なんだと思います。

右下がりの労働需要曲線と、右上がりの労働供給曲線。その交点で賃金が決まる。ベーシックインカムを導入すれば、働きたくなければ働かなくなるので、労働供給曲線が左にシフトし、結果賃金は上がる。


でも、低賃金の非熟練単純労働の市場では、もうひとつ重要な要素が入ってきます。それは、これ以上賃金が低かったら生活できない最低生活費のレベル。その最低生活費レベルを境にして、労働供給曲線は傾きが小さくなります。

どういうことかといえば、東京で一人暮らしでは、生活に家賃込みで10万円台前半は最低でもかかりますよね。年金とか健康保険の保険料も考えれば、最低でも月15万はないとやっていけない。これを1日8時間月20日程度働くとして、時給に換算すると約900円。実際都心部だったら時給900円くらいは出さないと、人はなかなか雇えないでしょう。首都圏でも住宅地の近くだったら、もう少し安くても人は雇えますね。勤務地までの移動時間や交通費等が違う。さらには主婦パートや学生アルバイト、親同居のフリーターなんかも労働の供給側に入ってくる。ただそうはいっても、やはり労働供給曲線はこの最低生活費レベルに大きく制約される。そして、この最低生活費レベルというのは、要するに労働力を再生産する(生きて明日も明後日も勤務する)ための最低限のコストだと考えられるわけです。最低生活費レベルより賃金が下がってしまえばコスト割れ、ということです。


では次に、労働需要曲線はどうか?これは賃金の上下によって、どの程度採用が増えたり減ったりするのかを表すので、非熟練単純労働の単価が下がった場合に、どの程度労働需要が増えそうなのかを想像してみます。
例えば売値200円の消費財があるとします。この200円のうち、パートやアルバイトのような国内の単純労働によって生み出された価値はどの程度あるのか?日本のような成熟した資本主義国では、国内の単純労働の比率はかなり低そうです。仮に50円だとします。パートやアルバイトの賃金が1割低くなったとすると、50円のうちの1割。つまり5円安くなる。この消費財の売値200円のうちのたったの2.5%です。それで2.5%が価格にそのまま反映されて195円になったとして、この消費財の需要はどの程度増えるか?たいして増えそうにありません。高い価値を提供する労働市場で、労働供給が不足しているために賃金が高止まりしていて、それがその賃金が安くなれば大きく需要を増やす可能性がある、そんな労働市場と異なり、非熟練単純労働の市場では、もうこれ以上賃金が安くなったところで、たいして労働需要は増えそうにありません。ですから、非熟練単純労働の市場での労働需要曲線の傾きはかなり大きいと思われます。

このグラフは、労働需要が総じて少ないので、賃金が最低生活費レベルに張り付いてしまっています。
ちなみに飯田泰之さんは、POSSEのインタビューでこんなことも言っています。

 実際、最低賃金については、東京で安すぎるのですが、地方では高すぎでしょう。400円で事務員を募集したら応募が殺到したという話が秋田県であったそうです。その地区の場合、自宅が親元であれば住居費はいりませんから400円でも働きたい。最低賃金法でこれを禁止してしまうとそうすると、時給700何十円ほど生産性のない人にとって、収入を得る方法がなくなってしまうんですね。

「時給700何十円ほど生産性のない人」とか、突っ込み入れたくなるような表現もあるんですが、それはおいておいて、地方では最低生活費レベルが最低賃金より低いってことです。

逆に東京はどうか。最低賃金より実際の賃金のほうが高いとのことですが、要は最低生活費レベルが最低賃金より高い、とも考えられます。事実、僕らの感覚としては東京での非熟練単純労働の賃金は、最低生活費レベルに張り付いている、という印象です。

それで、ベーシックインカムを導入したらどうなるのか?一つは、働きたくなければ働かないという選択をする人も増えるかもしれない(主婦パートとか親同居のフリーターとか、まあどちらかといえば恵まれている人たちですね)。これにより労働供給曲線は左にシフトする。でもベーシックインカムだけでは生活できないとなれば、やはり働かなくてはいけない。一方でベーシックインカムという底上げがある分、最低生活費レベルは下がる。となると、労働供給曲線はこんなふうにシフトするはずです。そして、最低賃金制度もなくなれば...

実際の労働需要曲線がどうなっているのか?はわからないのでなんとも言えませんが、このグラフのような労働需要であれば賃金は下がります。そして、成熟した資本主義国である日本においては、非熟練単純労働の市場はとても需要制約的になりがち(他の先進資本主義国を見てもそう)なので、賃金が下がる可能性はかなりあるのではないでしょうか。
現在の日本は総需要不足であり、飯田泰之さんはリフレ策によって需給ギャップをなくせば大丈夫だとお考えなのかもしれませんが、ちょっと前の景気の良かったアメリカやヨーロッパですら、非熟練単純労働の市場では、かなりの需要不足がみられたわけです。以前「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」で放送された『ウォルマート〜世界最大のスーパー、その闇〜』という映画を見てビックリしたんですが、ウォルマートでは最低生活費レベルにすら達しない賃金の代わりに、従業員にフードスタンプ(食糧配給制度)と生活保護を申請するように指導していた。要するにウォルマートは、自らが使用する「労働力」のコスト(つまりは労働力を維持し再生産するための最低生活費、というコスト)を負担せずに、生活保護制度によって不当に安く「労働」を仕入れていた、とも言えるわけです。景気の良かったアメリカですら、非熟練単純労働の市場はこんなもんです。


ベーシックインカムによって、最貧層の非熟練単純労働の賃金が最低生活費レベルよりも下がるとすれば、それはすなわち、ベーシックインカムによって非熟練単純労働のコスト(つまりは労働力を維持し再生産するための最低生活費)を、その労働を調達する事業者が支払わずに一部を公的支出によって賄う、ということであり、最終的には消費者が、その「労働」のコストの乗っていない単価で、その財やらサービスを購入するということになります。
飯田泰之さんは「賃金に対する規制は、人々の生活保障の負担を企業に間接的に負わせようという制度です。」と言っています。でも企業、さらにはその先の消費者が、自ら受益する価値に乗せられた、「労働」を再生産するためのコストである、労働者の最低生活費分は最低でも負担すべき、と考えれば「間接的な生活保障の負担」ではなく、「直接的なコストの負担」とも考えられますよね。


よく、最低賃金制度を廃止しろ!みたいなことを言う人がいます。市場をゆがめる、と。でも一方で、最低賃金すら払えないゾンビ企業はさっさと市場から退場していただいたほうがいい、という人もいます。はてさて、どちらが市場主義的なんでしょうかね。


個人的には、労働力を再生産するコストを、その受益者が支払わない「市場」はいかがなものか?と思います。ただでさえサービス(労働)に対するコスト意識が低い日本の消費者です(サービスとはタダだと思っている節がある)。価値中立的であろうとする現代の主流派経済学では「消費者の価値観」を経済学の俎上に載せることはありません。ですが労働に対するコスト意識の低下は、消費の価値意識(構造)を歪め、最終的には労働集約的なサービス産業が、公的なコスト負担なしには成り立ちづらくなってしまうのでは?と僕は思ってしまいます。


まあ長々と書いてしまいました。とりあえずベーシックインカムについてはこんなところで。
実をいうとマクロ経済へのベーシックインカムの影響、という問題も僕の頭の中にあるんですが、ここではやめておきます。ベーシックインカムのような再分配のシステムとマクロの経済成長の話を絡めると、これがもう荒れること間違いなし、なネタにもなるんで...