大塚久雄「欧州経済史」

以前『「日本的」なるものを考えるきっかけとしての地図帳からの思考』で、ちょっとした問題提起して、そこから大塚久雄を紹介していこう、ということになり、こちら大塚久雄岩波新書2冊を紹介したところで、僕自身忙しくなって更新が途絶えてしまい、もうかれこれ10ヶ月。すみません、ようやく大塚久雄に戻ります。

欧州経済史 (岩波現代文庫)

欧州経済史 (岩波現代文庫)

今回は、岩波現代文庫の「欧州経済史」。
この文庫には、タイトルの「欧州経済史」(1956年刊行、1973年改版)と、「資本主義社会の形成」(1951年、「大塚久雄著作集」第5巻、1969年)が入っています。僕が生まれるより10年以上も前。古いですね。
実はこの本「大塚史学」のエッセンスが詰まっていて、大塚史学とは何ぞや?と思ったらまず読むべき本、だとも言えます。ですので、いきなり「本の内容」にとっかかる前に、ちょっと「大塚史学」の特徴に触れておきます。


大塚久雄の死に際して、病床にあった丸山眞男が寄せた弔辞より。

大塚さんには私の徳川儒学思想史の研究の過程において、元禄町人の社会的地位について、ヨーロッパの資本主義発展における、商業高利貸し資本の暴利資本主義と、正常な利潤を基礎とする資本主義とを峻別されたことに、甚大な影響を受けた。いわゆる町人及び町人精神とヨーロッパのブルジョワ精神とを同視する風潮、したがって日本は既にブルジョワ精神の段階を克服しているというような日本の学界の一部の見解に対して激しい違和感を持った。それが大塚先生との遭遇の最初の場であり、しかもそれは全く一方的な、私の側からなる大塚先生からの受容の場であった。
<「丸山眞男集」第16巻>

丸山眞男が影響を受けた経済史観。「商業高利貸し資本の暴利資本主義と、正常な利潤を基礎とする資本主義とを峻別されたことに、」とありますが、この「商業高利貸し資本の暴利資本主義」(この表現もどうかと思いますが...)を「前期的資本」して、産業革命後の産業資本と明確に区別する。ここに大塚史学のポイントがあります。


「欧州経済史」では、「資本」の形態に着目し、歴史的に捉えなおします。

経済史学が現在までに明らかにしたところによれば、「貨幣経済」(あるいは「商業」と「金融」などといってもよい)の発達およびそれを基盤に種々な姿をとって成長する「商人」たちの活躍は、決して近代にのみ特有な現象ではなく、多かれ少なかれ世界史上のあらゆる時代と地域にわたって見いだされることが実証されている。もし商人たちによる「利益追求の営み」をすべてひとしく「資本」とよぶとすれば、「資本」は、「産業資本」という独自な形態をこそ欠くとはいえ、「商業資本」や「高利資本」などの姿では「貨幣経済」と手を携えつつ、きわめて古くから存在したのであった。やや誇張して表現すれば、その存在は「人類の歴史とともに古い」とさえいうこともできるであろう。

「商業資本」や「高利資本」といったものは、歴史的にも地理的にも広く認められるものであって、資本主義に特徴的なもの、と考えるにはやはり無理がある、ということ。

近代に独自な生産様式たる「資本主義」が、商品生産の一般化という土台のうえに「産業資本」を不可欠な基軸として構成されているのに対比して、近代以前の諸時代における生産様式はすべて、何らかの形の共同体を土台としてうちたてられた「奴隷制」、「封建制」などであって、「人類の歴史とともに古い」といわれる「商業資本」および「高利資本」などの「資本」諸形態はそうした生産諸様式のうえに、あるいはその外側から、ただ寄生するにすぎないような性格のものだったのである。われわれは、このように近代以前の生産諸様式に寄生するという性格をもち、かつ歴史的にきわめて古くから見いだされる「資本」諸形態を、近代に独自な「産業資本」およびそれに従属する「資本」諸形態からはっきり区別して、とくに「前期的資本」とよぶこととしよう。

マルクス資本論では、商業資本や高利貸資本を、労働による剰余価値生産が伴わないものとして区別していますが、大塚久雄は歴史的に経済・社会的諸関係性に着目して、この違いに迫ります。
ヨーロッパ近代における「資本主義」の特徴は、様々な経済・社会関係が、商品生産という土台の上に成り立っていて、その基軸に「産業資本」がある。一方、近代以前では「奴隷制」や「封建制」などといった、主として土地所有を軸とした経済・社会関係が土台となっていて、「商業資本」や「高利資本」はその周辺・外側から生産諸様式に寄生している。そして後者の「資本」諸形態を、大塚久雄は「前期的資本」と呼称し、前者と明確に区別します。


そして「前期的資本」が、旧来の政治制度に対抗した、のではなく、その時代時代の政治支配機構と深く結び付き、むしろそれを補完してきた、ということが指摘されます。

古代オリエントの場合をとってみると、なかでもメソポタミア地域に典型的に見られるように、「貨幣経済」の発達は専制君主の統制下にがっちりと抑えられて、むしろ広大な専制王国の政治的統一に対して経済的な鍵を与えるものとなっており、さらにその間にあって富裕な商人たちは中間的な私的地主に化していくという事実すら推定されている。また、古典古代のばあいをとってみても、「貨幣経済」の発達はむしろ一般に「奴隷制」の成立と拡大に並行し、それに結びついているばかりでなく、ここでも帝政期ローマのあの広大な版図を奴隷主的な皇帝の統一的政治権力のもとに結びあわせる経済的紐帯の役目を商業が果たしていたことは明らかである。同じように、中世の西ヨーロッパにみられる「貨幣経済」の発達や商業の繁栄も、すぐれて「自然経済」的と規定されているあの「封建制」諸関係と、実はむしろ広くまた深く結びついていた。

少なくともそうした「貨幣経済」ないし商業のいちじるしい繁栄は、「産業資本」形成の萌芽ともいうべきものをもちろん例外的には伴っていたにしても、全体としては、むしろ反対に、旧来の事情に結びつき、それを維持しようとする傾向を強く示していたといわねばならない。


こうして、この本の中心テーマが、あらためて確認されます。

このようにして、われわれはどうしても次のように考えねばならないことになる。すなわち、「貨幣経済」の発達や商業の繁栄というような一般的事実からただちに「産業資本」の原始的形成を推論したり説明したりすることは、とうてい不可能である、と。もちろん近世に入れば、古い「貨幣経済」や商業と並存しつつ、「産業資本」の生誕と成長が開始されるが、やはりそのばあいにも、後者が前者のおのずからな帰結であるなどとはとうてい結論できない。つまり、「産業資本」の原始的形成を説明するためには、単なる「貨幣経済」の発達や商業の繁栄などという一般的な事実だけでは少なくとも不十分であり、したがって、いま少しく立ち入って「産業資本」成立の経路や条件をいっそう具体的に追求してみることがどうしても必要となってくる。


ここまでで、こんなに長くなってしまいましたが、実はこの本に貫かれる前提部分がとても重要なので、まあこんなに大量に引用してしまいました。


この後、中世都市に根付く「前期的資本」と、農村部から新たに生まれてきた農村工業「マニュファクチュア」を対比させ、両者が歴史的に対立したり、あるいは相互依存しつつも、最終的には「マニュファクチュア」を担ってきた人々が、「労働者」と「産業資本家」に分化し、近代に独自な生産様式たる「資本主義」が誕生してきたことを明らかにします。ここでは詳しい紹介はしません。是非本を手にとって読んでいただきたいです。



それで、ここからは僕の問題意識に絡む話なんですが、この本の中でイギリス農村部での「マニュファクチュア」誕生の契機の一つとして、「土地囲い込み運動」Enclosure Movement が挙げられています。土地囲い込み運動によって、封建的な「村落」共同体のもとにあった土地占取関係が崩され、一方で土地に縛られた共同体から、多くの人々が引き離され、毛織物工業のうちに再組織されていく。
ですが、僕の関心は、この「土地囲い込み運動」以降に生まれてきた「マニュファクチュア」よりも、「土地囲い込み運動」によって解体されていった中世の封建的な「村落」共同体。こちらほうが気になってしようがないんです。

この地図は、「土地囲い込み運動」以前の「村落」共同体における土地占取関係を説明するために、この本に「付図」として載っているものですが、これを見ると、あらためて以前こちらで取り上げた問題意識が思い出されます。
農村工業「マニュファクチュア」が、産業資本誕生の基盤となった。でもそのマニュファクチュアを用意したのは「土地囲い込み運動」と併せて、中世ヨーロッパ農村部における「ゲルマン的」共同体が非常に大きな意味を持っているのではないだろうか?ということです。
『欧州経済史』では近世から近代にかけての「産業資本」の誕生に焦点を絞っているので、中世の「ゲルマン的」共同体については、あまり触れられていません。でも大塚久雄は、アジアや古代〜中世ヨーロッパの共同体を論じた『共同体の基礎理論』という仕事をのこしています。そして『共同体の基礎理論』こそが、僕を魅了した大塚史学、その醍醐味を味わえる本、だと思っています。
ということで、次は『共同体の基礎理論』を取り上げたいと思うんですが、いろいろと思い入れのある本なので、まあおいおいと。