大塚久雄「社会科学の方法 ― ヴェーバーとマルクス 」「社会科学における人間」


約2ヶ月経っての更新です。まあとにかく仕事が忙しかった...ので、ブログ書くのはほんと久しぶりです。今もまだ忙しいのですが、まあピークは越えました。
えーっと、前回忙しい中なんとか書いたエントリー。共同体の歴史ってものをちゃんと見つめ直したら、いわゆる「日本的」なるものが、もう少し良く見えてくるんじゃないかと。それで経済史とか、共同体の歴史を追いかけてみよう、ということになればやはり大塚久雄先生しかいないだろう、という話でしたね。


今回は大塚先生の新書2冊をご紹介。目指すところは、大塚久雄「共同体の基礎理論」にあるんですが、まあいきなりそんな本を読むのは直球すぎてちょっとなんだかなあという気もするので、軽く新書から。こういう回り道も大切です。

社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書)

社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書)

社会科学における人間 (岩波新書)

社会科学における人間 (岩波新書)

大塚久雄といえば、マックス・ヴェーバーを日本に広く紹介した人、というイメージが強いでしょうかね?ご本人、プロテスタントでもあって、ヴェーバーの宗教社会学の影響を受けながら、「近代化の人間的基礎」、「国民経済」などなど、まあおもいっきり近代主義思想の人です。当然ポストモダンが流行した時代には否定されて、今となっては丸山眞男以上に忘れ去られた感が強いです。
また、ヴェーバー社会学マルクスの経済史観を加えたようなことをテーマにした人なので、それこそマルクスヴェーバーなんて言われたりもしたそうです。で、今回紹介する岩波新書2冊も、そのマルクスヴェーバーがテーマになっています。


青版の「社会科学の方法 ― ヴェーバーマルクス 」は、4つの講義録をまとめたものとなっていて、一つ目が本書のタイトルと同じ「社会科学の方法」。ここではマルクスヴェーバーの方法論のお話が、比較されつつ紹介されています。三つ目は、ヴェーバーの宗教社会学での儒教とピューリタニズムのお話、四つ目はヴェーバーが、マルクスでいう上部構造と土台との関係、つまり思想と経済との関係をどのように考えていたのか、というお話。で、唯一異色なのが二つ目の「経済人ロビンソン・クルーソウ」。そして僕の印象に最も残ったのが、この2つ目のロビンソン・クルーソウとその作者、ダニエル・デフォウのお話なんです。
黄版の「社会科学における人間」は、NHKの連続講義をもとにしたものですが、こちらは、I「ロビンソン物語」に見られる人間類型、II マルクスの経済学における人間、III ヴェーバー社会学における人間類型、と三章だてとなっており、ここでもロビンソン物語がでてきます。ちなみにこの本の「ヴェーバー社会学における人間類型」の章は、ヴェーバーの宗教社会学の非常に良い入門となっているので、そちらに興味のある人にはお勧めです。


そこで、今回このブログでは、「経済人ロビンソン・クルーソウ」に絡んだ話を紹介します。大塚先生は、「資本主義」とか「近代」の誕生を担った「人間」「ひと」が、どのような人間類型?であったのかを、「ロビンソン・クルーソウ」とその作者ダニエル・デフォウにスポットを当てて、分かりやすく解説しています。
ところで、僕らは今の社会、資本主義社会というものを、当たり前のものとして受け入れているわけですが、でもちょっと考えてみれば、歴史的に見ても、さらには数十年ほど前までは地理的に見ても、「資本主義」とか「近代」というものは、非常に特殊なもので、なんでこのような社会が誕生したのか?ということは社会科学的にみてもとても重要なテーマなんです。それで大塚久雄先生の専門は経済史、それも「資本主義」「近代」の誕生がメインなわけで、その近代の誕生というものがどのようなものであったのか?を考える上で非常に重要なのが17世紀後半〜18世紀前半のイギリスになるわけです。


んでは、ちょっと引用してみましょう。

経済理論というものはその出発点において、ある人間のタイプ、とくにある合理的な人間行動のタイプを予想しているわけです。人間というものは、経済の営みにおいて、だいたいこういう合理的な行動様式をとるものだということを前提として経済理論がつくりあげられる。こうして、人間の営みにほかならぬ経済現象を対象として、科学といわれるにふさわしい学問ができてくることになるのですが、ここで私が「経済人」というのは、歴史上経済学らしい経済学のはしりともいうべきイギリスの古典派経済学、つまりアダム・スミスからリカードにいたるあたりの経済学のばあいに、その方法的前提として想定されていた人間のタイプを、そして彼らみずからがそう呼んでいたものを考えているわけです。
 さて、アダム・スミスが『国富論』を書くにあたって、前提にしていたその「経済人」(ホモ・エコノミクス)という人間のタイプ、あるいは人間類型を知るためには、もちろん彼の『道徳情操論』その他を十分研究しなければならぬわけですが、もしそれをやさしく説明すれば、どうなるか、と問われると、私はどうしても、『ロビンソン・クルーソウ漂流記』を読んではいかかですか、といいたくなるのです。
<「社会科学の方法 ― ヴェーバーマルクス 」100〜101P>

 ところで、このダニエル・デフォウの書いた『ロビンソン・クルーソウ漂流記』ですが、あれにはモデルがあったと言われております。私は突っ込んで研究したことがありませんのでよく分かりませんが、たぶんあったんだろうと思います。しかし、私のような社会経済史を専攻している人間が、ややつむじ曲がり的に読みますと、それとは少々別の面が浮かび上がってきます。ロビンソン・クルーソウは孤島に漂着して、そしてそこで長年たった一人で生活をした。犬や鸚鵡、それからあとになっるとフライデーがやってきますが、まあの生活はたった一人でやったと言ってもよいでしょう。そういうたった一人の生活の物語なのですが、しかし社会経済史家の目で見てみますと、あのロビンソンの孤島における生活には、なにか社会的モデルとも言うべきものがあったと、どうしても考えざるを得なくなるのです。そしてその社会的モデル、著者デフォウが生きた時代、つまり17世紀の終わりから18世紀前半にかけての、だからあの事情通のデフォウが熟知していた当時のイギリスで、広く農村地域に住み、そしてさまざまな工業生産、とりわけ毛織物製造を営んでいた中小の生産者たち、私はそれを「中産的生産者層」とよぶことにしていますが、そういう人々の生活様式こそがそれだったと考えるのです。デフォウは、彼らをいわば社会的モデルとしてあの孤島におけるロビンソンの生活を描き出したんだと、私にはどうしてもそう思われるのです。
<「社会科学における人間」24〜25P>

大塚先生は、経済学における合理的経済主体なる「経済人」(ホモ・エコノミクス)として、ロビンソン・クルーソウを挙げ、ロビンソン・クルーソウこそが、17世紀の終わりから18世紀前半にかけてのイギリスにおけるマニュファクチュアの担い手たち、つまりは資本主義の担い手たちへとつながる人間類型であると。そしてマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかでも、さらりとロビンソン・クルーソウに触れられているように、ロビンソン的人間こそが「資本主義の精神」を表しているのではないかということです。
ロビンソン・クルーソウのどのあたりが「経済人」であり「資本主義の精神」なのかは、この新書2冊を読めばよくわかります。なので興味のある方はぜひ読んでみてください。ただここでは、あまり突っ込む気はありません。僕の関心は、あくまで経済史であり、共同体の歴史なわけです。


それで、「社会科学の方法 ― ヴェーバーマルクス 」の「経済人ロビンソン・クルーソウ」のなかで、マニュファクチュアで働く人々、「中産的生産者層」の暮らしぶりがどのようなものだったのか、を具体的に紹介するため、ダニエル・デフォウの他の著作を引用して解説しているところがあります。僕が、今回このブログで紹介したかった部分はこのところです。いやあ、やっとたどり着きました。前振りが長すぎましたね。すんません。

 デフォウは、『ロビンソン・クルーソー漂流記』を書いたちょっとあとだと思いますが、『大英帝国周遊紀行』"A Tour through the Whole Island of Great Britain"という本を書いております。彼は、もともと新聞記者で、おそろしく知識が広く、政治、経済、社会、各方面についていろんなことを知っていた。その彼が国中を旅行し、その経験を生かして旅行案内を書いた、それがこの本です。読んでみると、じつにおもしろい。どこまでこの記述を信用していいか、歴史家はなかなか慎重に批判的に読むけれども、経済史の重要な史料の一つです。そのなかで、のちに産業革命のときに綿工業の中心となるランカシャーマンチェスターから東へ行ってヨークシャーの方にはいっていく州境、当時はそのあたりからヨークシャーの西部(ウェスト・ライディング)の地方にかけては、毛織物の重要な生産地帯でした。その州境を越えて、ヨークシャーにはいっていく道すがら、そのあたりの情景を眺めたときのことを詳しく書いています。おもしろいからちょっとご紹介しておきましょう。

マンチェスターといえば、今ではものすごく強いサッカーチームのある町だという印象ですが、歴史的にみれば産業革命において中心的な役割を果たした町です。毛織物工業が発展し、その後、綿織物工業がおこり、機械化によって一挙に発展しました。そのマンチェスター産業革命前のマンチェスターから東に向かっていく、そんな光景を想像してみましょう。

 毛織物工業の中心地であるハリファックスという町に近いあたりを望見した情景ですが、「ハリファックスに近づけば近づくほど家並みはますます密になる。」このへんは丘を上がったり下がったりする道がずっとつづいているのです。その「丘のふもとの村々はますます大きくなってくるのが目につく。その嶮しい丘の斜面にも一面の家があり、しかもひじょうに密集していた。土地が小さな囲い込み地にわかれていて ―― どれも二エイカーから六、七エイカー、それ以上はめったにない ―― 三、四区画の土地ごとに一軒の家があるという具合になっている。」そのあたりを通っていくうちに、だんだん、どうしてそうなっているかというわけが彼にわかってきた。「こういうふうに土地が小区画に分かれて住居が分散しているのは、人々が広く営んでいる毛織物製造の仕事の便利のためなのだ。」つまり三つか四つぐらいの囲い込み地のまんなかに家がある。それもただの住居ではなくて、みなそれぞれマニュファクトリーがくっついている、というわけです。

囲い込み地っていうのが、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、まあちょっとググってみてください。ちなみにイメージとしては、Googleの画像検索で、"yorkshire hill"と検索してみると、ヨークシャー州の、そんな感じの絵や写真が出てきます。それと1エイカーは、約1200坪。どれくらいの大きさの囲い込み地なのか、想像できると思います。

 ところで、三つ目の丘を登りつめたとき、彼の目に映ったのは、それから向うは、てっとり早くいえば、ずっとつづいた一つの村のように、同じ情景がどこまでもつづいているということでした。「隣と話ができないような家はほとんどない。そのうち天気がよくなって、陽が射してくると(それでそこいらの仕事がじきにわかったのだが)、どの家にも張物枠があり、どの張物枠にも毛織物が張ってあるのが見えた。」ところで、よくみると、どの家のそばをとおっても、小さな流れか溝があって、それが家のなかに流れ込み、流れ出ている。そして「目立った家にはどれにもマニュファクトリーすなわち仕事場があった」。しかも、それだけではなく、「どの織元(毛織物製造業者)もきっと一、二頭の営業用につかう駄馬を飼っている。」それで、いろいろなものを市場に運んでいったり、運んできたりするのだ。そのほかに彼らは「みな家族のために、一、二頭あるいはもっと多くの雌牛を飼っている。家の周りの二、三ないし四区画の囲い込み地がそれにあてられている。穀物はやっと養鶏にまに合う程度に種子を播くだけ」である。家畜を飼っているので、その糞が肥料になって地味はなかなか肥えている。さらに、そうした製造業者の家々のあいだには、同じように散らばって、小さな小屋ないし小住宅があり、製造業者に雇われている労働者はそこに住んでいる。そして婦人や子供たちは(自分の家のなかで、下請で)毛を梳いたり、糸をつむいだりするのに、たえず忙しい。……どの製造業者の場合でもその家を訪ねてみると、〔そのマニュファクトリーのなかに〕屈強な男たちがいっぱいいるのが目に映る。その幾人かは染物桶のそばに、幾人かは毛織物を仕上げ、幾人かは織機に、ある者はこれ、他のものはまた別のこと、みんながさかんに働き、十分に製造にいそしみ、みんなが手一杯の仕事をもっているようにみえる。……ここはロンドンとその周辺を別とすると、イギリスでいちばん人口が稠密な地域の一つだ」。 ―― こういうふうに書いております。
<「社会科学の方法 ― ヴェーバーマルクス 」107〜110P>

どうでしょうか?
だからなに?と言われてしまえばそれまでなんですが、なんというか、当時の暮らしぶりというか、光景が浮かんできますね。ダニエル・デフォウの文章もわかりやすいんでしょうし、大塚先生の訳や紹介の仕方も悪くないですね。こういうディテールというかイメージでの理解って、結構大切です。
それで、なんでしょうかね、やはり日本の農村風景とはかなり異なりますよね。かといって都市の風景とも異なります。人と人との関係性も、ずいぶん違うはずです。ああ、こんなところから近代というものは生まれてきたのか...と思うとちょっと面白いです。


ということで、今回はここまでです。なんとなく産業革命前のイギリスのマニュファクチュアの世界がイメージできたところで、次回は大塚久雄「欧州経済史」を紹介します。
まだまだ大塚久雄で引っ張ります。